泉 康雄の言いたい放題@Stanfordサイトマップ
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| 研究者川柳
スタンフォードは、日本からコンピューターネットワークを通じて見ていたイメージ(フーバータワーが中心に見える、ヨーロッパ的な、洗練された街)とは、正反対の町でした。ショッピングセンターが「有名」ならしいですが、それも含めて、私はこの町を「カリフォルニアのつくば市」と呼びたいと思います。交通が不便で、クルマが不可欠な点、店がまばらで、唯一、開けたショッピングセンターとUniversity Avenue付近が、つくばセンターを彷彿させるからです。こちらへ来て最初泊まった"Hotel California"は、こじんまりとした、南欧風の白い二階建て(二階がホテル)で、一階にあるPalo Palo Bakeryでの朝食が付いているのが良かったです(6/1 Sat~)。
私たちのアパートは大学の裏側のSharon Heightsにあり、SLAC (Stanford Linear Acceleration Center) はすぐ近くです。その中にあるSSRL (Stanford Synchrotoron Radiation Laboratory) で7月に最初の実験のときは一週間缶詰状態だったので、近いのは有難かったですが、一緒に実験していたこちらの人はやるときはガッとやるんだな、と知らされました。SSRL自体はつくばの高エネ研みたいな感じですが、古いのと建物や配線を無計画に作っているため、雑然とした印象で、「現場」という言葉がよく似合うところでした。高エネ研Photon Factoryと決定的に違うのは、スタッフが気軽に声を掛けてくれる点でした。(7/25 Thur - 31Wed)
サンフランシスコは聞いた通り、坂が多いことの他は、観光ガイドブックの情報とはかなり違っていました。カルトレイン駅近辺の雰囲気が悪いことと、街の中心の道路がごみで汚れていて、ここで映画を撮りに来る人の気が知れません。付近の高速道路はサンフランシスコに入ると次第に狭くなって、雰囲気が首都高の銀座の辺りに少し似てきます(カリフォルニアでも、小菅みたいに、分岐して右の車が左へ、左の車が右へいくようなところもありますが、一般に道が広く、運転はずっとラフでOK)。街中は高速が切れるのでいったん降りて、Golden Gate Bridge に向かうと、東京並みの渋滞ですマーケットストリート辺りは一通が多く、やはり都心に似ています。橋両端から湾を展望出来ましたが、橋のえんじ色はあせていて、湾岸線を、東京ベイブリッジから鶴見つばさ橋へクルーズする爽快感とは、かなり差があります。10月18日、こちらに来て初めて、ワイパーを使う程度の雨が降りました。そのときの日本からのお客さんは、秋鹿博士です(6/23 Sun, 8/17 Sun、その他)。
坂がきつく、エンジンがころころという音を立てていったツインピークスは、サンフランシスコを見渡せ、ロスのGriffithに似ている。Tシャツが安いので選んでいたら、突如行商人たちがスペイン語で叫び、Tシャツを風呂敷に包んで、バンに乗って消え去った。その時間、かかること25秒くらい。その後、10分くらいして、暇そうな顔をした警察の車が頂上付近の道を走り流して行った。(3/16 Sun)
GGBを越えて渋滞するなと思いつつ、数マイル行くとMuir Woodへ着いた。そうきつい坂ではないが、往復1時間半くらいの山登りをする。木が思いっきり背が高いのが特徴なので、当然登山道はほとんど陰になる。3月とはいえ陽差しは日本の初夏の陽差し、それと比較して山道では空気が腕にひんやりとして、健康的だった。(3/23 Sun)
サンフランシスコを越えて北東へ1時間半くらい行くと、ワインの故郷Sonoma, Napaの葡萄畑が見えてきます。ヨーロッパ的な、小奇麗な、カリフォルニアらしくない雰囲気が気に入りました。SonomaからNapaそしてCalistogaの山越えがきつく、翌週にパワーアップのためマフラー交換を決断しました(9/29
Sun)。
Half Moon Bayという海岸はスタンフォードから北西にあるのですが、車で行く途中、いつも天気の悪い地域を通ります。その他は、箱根のようなターン、伊豆のようなアップダウン、とドライブも楽しいのですが、その天気の悪い地域では、もやのような中に呪われたような工場が道路脇に出現しました。サスペンス映画「ツインピークス」のようで、写真を撮っておきました。あといつだったか忘れましたが、天気の悪い湿原地域があり、脚のない動物とかが出てきそうで、いやでした。途中見えた奥多摩湖のような湖は、樹木がすこし南国的な色彩をもっていてなかなか良かったのですが、車を止めている人がいないので素通りしてしまったのが心残りです。アメリカに来て4週間にわたってレンタカーしたGeo
Metroでは最後の遠乗りでした。(7/7 Sun)
(後日追)おそらく、Redwood CityからMenlo Park近くまで、280号線沿いに見える湖の一部をみたものと思われる。地震が基で出来たという説あり。春になってみると、木が繁って、人里はなれた秘境の森という感じがする。
南へ100マイルほど行ったモントレーは、ヤシの木が並んだ南国的な田舎町といった風情で、気に入りました。7年半前、モナコやイタリアの町を訪れたことを思い出しました。中でも、モントレー水族館の電気くらげはとてもきれいで、昨年海水浴で徳島のくらげにひどい目に遭ったことは忘れていました。いろんな色の電気くらげがいて(例えば、オレンジと青の2色のくらげ、しかも点滅する)、館内の照明、水槽のセンスの良さも、色の美しさを引き立てていました。(7/21 Sun)
101号線で南へ1時間弱入ったGilroyは、高速を降りる辺りから妙にファーストフード的な染みつくような匂いがするな?と思ったら、ガーリックの畑が一面に広がっていて、何でも「ガーリックの故郷」的町だそうで、私はここの衣料品店で買い物をするのは止めにしました。(8/17 Sat)
自宅から390マイル、5号線をとにかくまっすぐ一直線に行くと、(食事、休憩含め)片道8時間でロサンゼルスに着きました。途中、車が何故か、急に時速100キロ近くで2速にシフトダウンし、エンジンブローかと焦りました。
やっと宿を見つけたサンタモニカはワイキキのようなsituationで、泳げなかったのは少し残念でした。サンフランシスコ以上に見せ場がない街でしたが、途中、貯水場ではカリフォルニアではなぜ半年も雨がなくても給水制限がないのか?という疑問を解決することが出来ましたし、ターセルの10万マイル(16万キロ)走行を達成しました。もちろん全部自分で走った訳ではありませんが(10/12 Sat - 23 Sun)。
ヨセミテ国立公園は、出発前に、我がターセル号のオールタネーターを交換するというハプニングがありましたが、往復400マイル(640キロ)走りきりました。さあ、帰ろうというとき、今度はエンジンオイルが燃焼室まで入り込んでいるのか、漏れているのか、すずめの涙ほど少しになっていたのにはあせりました。途中San Mateo Bridgeを通って半島からオークランドの方へ行きましたが、渋滞していたので橋を良く観察すると、海面から高さが3m位しかなく、これで氾濫しないのかな、と心配しました。あと海が黄土色と緑を混ぜた色で、もし泳げば、体が溶解していまうような「溶液」が、運転席の目前に迫りました。さて、ヨセミテでは、研究室の人にテント、寝袋等を借り、2泊中もいろいろお世話になりました。なかなかの大自然でおもしろかったのですが、何か物足りない気がするのは何故かと考えて見ると、やたら広くて、移動に時間がかかる割には、これといった見所に欠ける、日本流にいえば、「俳句の妙」とでもいうか、凝縮した魅力がないのかな、と思います。それをアメリカに求めるのは、ないものねだりというものでしょう。星が非常によく見えました。(8/2 Fri - 4 Sun)
ヨセミテよりさらに北、ネバダ州との境にLake Tahoeはあります。夕暮れ前に到着して、宿探しも兼ねてSouth Lake Tahoeから時計周りに車で走りました。いつの間にか夕暮れになった頃、切り立った道路の片側に湖を見渡せ、もう片側には姉妹湖というか、小さな湖が見えるところに来ました。夕焼けが湖面に写っていて、樹々の影と重なり合い、雄大でした。あとで湖の東側(ネバダ州側)も走って分かったことですが、西側、特にTahoe
Cityより南は拓けていないようで、偶然TPOが一致してラッキーでした。宿の方は、結局South Lake Tahoeに引き返して見つけました。なにしろ湖を一周するだけで120キロもあるのですから。
昼間は夕刻のような圧倒感はありませんでしたが、それでも一望する場所毎に様々な自然の表情を示すように感じました。それほど観光地化されてないため、水がとても澄んでいました。ダイビングをできなかったのはとても残念です。合計580マイル(930キロ)、日本での距離に置き換えて、大陸の広さを実感しました。(8/31
Sat - 9/1 Sun)
滞在半年を過ぎて、やや車でいけるところは行き尽くした感がありましたが、南はSan Simeon(12/8 Sun)、北はSea Ranch Village(12/15 Sun)まで海沿いを日帰りすると、住んでいる辺りとは海の表情が随分違っていて、驚きました。San Simeonへ向かう1号線からは入り組んだ地形が見え、海草が埋め尽くすように生えていました。夕暮れになると湾の先がもやったようになって幻想的でした。しかし日本のそうした地形のようにこじんまりしていなくて、行っても行っても目的地に着かないのはやはりアメリカでした。
それに比べて北へ走ったSea Ranch近辺は、比較的なめらかな海岸線です。やっと見つけたガソリンスタンド(これはSan Simeonでも同様だった)近くでいいレストランを見つけ、見ようによってはぽつぽつとアシカの頭のようにみえる海草のある、静かな海を見学してきました。こちらは四国も南側からの太平洋のイメージと同じでした。
9. 年末年始編~ロサンゼルス〜ティファナ〜サンディエゴ〜サンタバーバラ
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12月29日、あいにく雨模様だがとりあえず降っていないので、飛ばせるだけ飛ばして行こう、という戦略で出発。せっかく5号線途中まで快調だったのに、途中切符切りのおじさんに20分近く待たされる。会計74ドルなり。
気を取り直して、そのまま運転、Griffith天文台に着く。ロスは左折矢印がなく、ドンと出るしかなく、違和感を感じる。フーコー振り子をみて、アナハイムHoliday Inn泊。向かいのClearman's North Woods Innで夕食、普通の店だのに、ねえちゃんだけバニーギャルのような服で異様だった。パンツが汚れていた。
30日のディズニーランドの乗り物で気に入ったのは
1. Matterhorn Bobsleds (US only) 2. Space Mountain 3. Star Tours
Holiday Innはなかなかよかった。まともなホテルに泊まったのは、95年秋の北海道以来だもんな。
12月31日、さらに南下、メキシコ国境へ。国境付近で親子3人を描いた奇妙な道路表示、母親は髪がばさばさで、どうやらティファナでみたイメージから判断して、米国へのメキシコ人不法侵入者が、誰も住んでいない海沿いの国境の林付近でさまよい、Freewayを横断するらしい。メキシコ国境ではうっかり車でメキシコに入りそうになったが、慌てて迂回、MEXICOと赤白青で入国の看板に書いてあったのが印象的。ティファナでは絵葉書を買い、クリスマスカード等の返事を書く。急いで米国に戻り、さらにサンディエゴで橋を渡り、Hotel del Coronadoの近くのBest Western泊。橋からの夜景がGood、とくに軍艦と高層ビルのネオンが新鮮だった。奇麗な街で、カリフォルニアらしくない、しかし不思議なほど地元民が見当たらない街だった。
1月1日、守衛の眼を盗みつつ、海軍基地からのぞく軍艦を写真撮影。その後、動物園でパンダを見るが、30分待ってやっとたどり着いた目の前で尻を向け、黄緑色のクソを披露してくれた。動物園では3時間くらいですっかり日射病になってしまった。しかしヤマ場はさらにあとに控えていた。
夕刻4時頃やっと北へ出発、ロスに入るに前後して雨、405号で海に近づくとさらに勢いを増してきた。ロスを出て101号は左手は海の様だが何も見えず、前車のライトをたよりにサンタバーバラに着く。
2日、サンタバーバラでは美術館で北斎のスタンプを買ってから、最後の、そして最もハードなドライブへと出発。101は断続的に雨、また前が見えず(88年ターセルのライトが弱いこともある)、一度は出口に間違って出たり、またGilroy付近では洪水(後日のSan Francisco Chronicleによると、州全体で10万人が避難したそう)のため道路閉鎖で2時間も迂回させられるが、無事帰宅、合計1200マイルの長旅だった。
こちらへ来てから10月下旬まで続いた雨ゼロの記録が、厳密にいうと中断されてしまったのが、国際学会に出かけた6月末からのボルチモアです。交通が不便なのはアメリカ共通でしたが、ここの湿度は東京的で、カリフォルニアの天候が、人間活動にいかに適しているか、再認識させられました。最初に取った宿舎がひどく、安くて快適なホテルを探している時の、煙草や50セントをねだる黒人と、親切にホテル探しに付き合ってくれて、おまけに二人で59ドル/日まで勉強させる交渉までしてくれたRobertおじさんが特に印象的でした。昼夜を問わず、やたらと消防自動車が往来するのですが、本当に全て火事だったのでしょうか?(6/28 Fri - 7/3 Wed)
余裕というべきか、あるいはこれ以上緊張がもたないというか、とにもかくにもカナダまでスキーに出掛けました。朝6時、スタンフォードショッピングセンターの駐車場に警備とレッカー車らしき車が往来するが、意を決して車を放置、サムトランスに乗る。サンフランシスコからバンクーバーまでは3時間くらいで、手軽だな、とたかをくくっていたら、バスを待つため昼食を挟み、1時頃曇りのバンクーバーの街を抜けたものの、山と川が左手覗き出だしても一向に到着の様子はなく、結局ウイスラーに着いたのは4時頃だった。
宿でベッドの作り方(ソファーからの引っぱり出し方)を練習していると、突然警報。あわてて外に出ると、われわれの泊まる階のジャグジーから湯が漏れだし、床が抜けていた。この時点で宿選びをもっと慎重にすればよかった、と気付く。
ゲレンデは8年前のスイスと比べ、客観的にいえば規模も景観もやや劣るが、しかし、コースが広く、またどのレベルの斜面も人工的でなく自然な斜面、しかも雪も滑りやすい感じがして、とても気持ちよく滑れた。3日間で初日(Whistler、ゴンドラを降りると雪になった)、2日(Blackcombに行くが、中腹でもまだ雨なので、作戦変更、昼前にWhistlerに移動)、3日目でやっと晴れ、Whistlerの頂上を極めた。最後、山頂へのリフトは岩が出てきて、また生態系がそれより下とは違っているように見え(木が生えていなくて、おそらく夏でも違った植物が生えるという意味)少し冷気がよぎったが、頂上の眺め、雪がさらさらしてして、寝転ぶと気持ちよかった。
帰りは夜バンクーバー空港を出て、サンフランシスコへは10時くらいに着いた。バンクーバー空港使用料を払え、といわれたとき、これが国際線であることに気付く。マイレージはCanadian Airlineでなく、親会社のAmerican Airlineに加算してもらった。天気がいまいちであまり日焼けしなかったな、とたわいもないことを考えつつ、再びサムトランスでスタンフォードショッピングセンターに着き、車に何も違反を示すチケットがないことに安心して、スキー旅行は終わった。(Jan 28 - Feb 1)
101を300マイルくらい行ってSan Luis Obispo近くでfreewayを降りると、ソノマに似た感じの小奇麗な山間部を通る。そんな中、田舎の老人保養所といった趣のシカモア温泉に着く。
部屋はリッチにスイートにした(というより、それしか空いていなかった)ので、気分までリッチになる。部屋のジャグジーで汗をかいた後、食事、味はまずまず。ワインはgood。
ジャグジーは温泉でなかったため、翌朝、一人15ドル払って、硫黄泉に入りに行く。段の坂を登って、両側に木の枝の柿のようにぽつぽつと風呂を作ってあり、風呂は石川五右衛門が釜ゆでに処せられたような配置になっているが、風呂の材質は全て木。山の斜面自体が鬱蒼とした木に覆われて、日本の温泉郷ともアメリカ的ともいえぬ、独特の雰囲気だ。風呂は本当の硫黄泉だが、pHは5.5くらいか?やはり草津や登別が恋しい。アメリカで入るにしては悪くない。
宿泊室、レストラン、フロント、そして温泉が山に面して並んでいるのだが、全体的な雰囲気は第一印象の田舎の老人保養所、フロントの辺りの木や旗の感じが東南アジア的に見えた。(3/15 Sat - 16 Sun)
カリフォルニア州の地図に赤のマーカーを増やすのが主目的で、GGブリッジを越え、US101を北上した。11時過ぎにマックにピットインした頃からペースが乗ってきて、ついに300マイル、ユーリカまで行ってしまった。道中は南下するときよりも木が多く、先週カーメルからの帰りに迷いこんで出くわした、Death
Valleyのような雰囲気のところはなかった。そういう意味では少し自然の平凡さの失望した。
ユーリカは漁港とパルプ工場の小さな町で、ただガソリンとバッチを買って帰路へ。一時間60マイルちょっとのラップで刻むが、サンフランシスコで捕まる。16時半に出て、家には21時半、ちょうどテレビで、ミハエルシューマッハーがモナコでロケットスタートを切っていた。(5/12
Sun)